2012年12月30日日曜日

怒られる才能

「最近の若い人は、怒られるのに弱くてダメだ!」というセリフをちょこちょこ耳にします。若い人の立場から見てみると、そう言われても困っちゃいますよね。怒られてへこまなかったら、それはそれで生意気に見えて腹が立つんでしょうし…。

僕も怒られるのは嫌だし、へこんだりします。けど、どんなに避けようと思っていても、やっぱり怒られることがあるんです。特に働き始めた時は多かったので、友達と2人で『怒られ会』という会を作って、「どうやったら怒られずにいられるか?」「どうしたら、怒られても早く切り上げられるのか?」というポジティブなのかネガティブなのか分からない会を作っていた時期があります。色々なアイディアが出たのですが、結局は「怒られるっていうのは、すごい才能だ」という結論に達しました。

同じ事をしてるのに、自分だけ怒られた!と思うことありませんか?「運が悪い」「不公平だ!」という見方もできますが、「怒っても大丈夫なような雰囲気を醸し出している」という見方もできます。怒る側に立ってみたら、怒ったあとにすごい反撃をくらうんじゃないかという場合や、反対にすごくしょげてしまって後味が悪くなっちゃいそうな場合、また、相手との繋がりが切れてしまうと感じる場合は怒りにくいと思います。そう考えると、怒られやすい人はダメなところが多いのではなくて、相手を安心させるような雰囲気を持っているのではないでしょうか?

こういう風に、怒られることだけじゃなくて、普通は欠点だと言われていることは、別の角度から見ると才能でもあったりします。そう考えて、自分の欠点を日々の中で活かせるように工夫するといいですよ。それが出来てる人を見てみると、状況としては厳しい時でも、雰囲気としてはどこかやわらかさがあります。

関連記事:『お説教に意味はあるか?

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年12月15日土曜日

イライラを解消するための工夫|話すのが好きな人の場合

誰かに何かされてイラっとした時、その場ですぐに反撃できれば、そのイラつきはある程度減ります。けれど、みんながそうできるとは限りません。「とてもそんなことできない」と言う人は多いですし、そういう人がいるから人間関係が円滑に進んでいくとも言えます。

しかし、争いは起きなかったけれど、こちらが受けたイラつきはどう処理したらいいのかという問題が残ります。そのための工夫の一つに、相手にあだ名をつけるというものがあります。例えば、ちょっとしたことでキレる人には「瞬間湯沸かし器」と付けたり、ネチネチと説教が長い人には「蟻地獄」と付けたり…です。これは直接相手に言うのでなく、心の中でこっそり呼ぶということです。

夏目漱石の『坊っちゃん』でも、主人公が同じようなことをしています。新米教師である主人公は、校長には“狸”、教頭には“赤シャツ”など様々なあだ名を付けていきます。

嫌な目にあった時に相手の嫌な特徴をあだ名にしてしまうといいですよ。話すのが好きだったり、言葉遊びが出来る人だったら、簡単にできます。

そういう風にあだ名を付ける効果は、相手との距離がとれる点にあります。以前、反論を考えると良いと書きましたけど、それを簡単にしたようなやり方です。こっちの方が遊び心があるので、やってて楽しいんじゃないかなぁ、と。最近は、そう思っています。

この方法には1つ注意すべき点があって、それはうっかりあだ名を口にしないようにするということです。

関連記事:『こころのディフェンス力をupさせる』『イライラを解消するための工夫|体を動かすのが好きな人の場合


坊っちゃん (岩波文庫)
坊っちゃん (岩波文庫)
posted with amazlet at 12.12.10
夏目 漱石
岩波書店
売り上げランキング: 125808
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年12月10日月曜日

イライラを解消するための工夫|体を動かすのが好きな人の場合

イライラは不快な感情なので、できればスッキリなくしたいと思う方は多いです。どんな感情でも消してしまうことはできないのですが、そういった感情を自分の中に収めやすくすることはできるんじゃないかと思います。

棋士の羽生さんは、将棋はなかなか上手くいかない状況を考え続けているので、かなりイライラするものだと話していました。そのイライラした感じは、扇子を開けたり閉じたりしてパチパチさせていると落ち着くらしいです。

僕が受験生だった頃を思い返すと、自習室で勉強する人はやたらと“ペン回し”をしていたように思います。これも同じで、難しい問題を考えているとイライラするので、そうすることで静めていたのかもしれません。

こういう風に、イライラした時は、何か同じ動きを繰り返していると落ち着いていくようです。夫婦喧嘩したあとに、お母さんが台所で野菜をトントンと刻んでいたら、「あぁ、お母さんもそうやってイライラを静めてるんだなぁ」って思うといいですよ。他にも、貧乏ゆすりをしていると落ち着くという人もいますし、走ったらイライラが減るという人もいます。人によって自分に合った方法は違います。

1つ考えておいたらいいのは、学校や会社など公の場でイライラしてしまった時、こっそりできる方法です。僕は、「ペン回しをしたらいいんじゃない?」と言っていたのですが、学校では先生に怒られちゃうこともあるらしいです。扇子を持ち歩いて不自然じゃない人は、少ないですしね。僕自身は、気功をやっている人から教えてもらって、これはいいなというやり方を実践しています。文章では説明しづらいし、怪しいのでこの場で書くのはひかえておきますけど。


プロフェッショナル 仕事の流儀 棋士 羽生善治の仕事 直感は経験で磨く [DVD]
NHKエンタープライズ (2007-04-27)
売り上げランキング: 42164

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年11月28日水曜日

「頑張りすぎ」と言われても、どうしたら頑張りすぎないでいられるのかが分からないあなたへ


何事にも自分の限界を越えて頑張ってしまう人がいます。そういう人は,短距離を走るぶんには良いのだけど,長距離を走るとなると大変です。途中でダウンしちゃうことがあります。中にはうつ病になってしまう人もいます。

ダウンした後で言われるのが「頑張り過ぎ」「8割くらいの力でやりなよ」というセリフです。「なるほど」と感心して実践しようとしてみると,その加減は難しいものです。ご飯だったら腹八分は何となく分かると思うのですが,仕事は色んな要素が絡んでいて,もっと複雑ですからね。

じゃあ,どうしたらいいのか…となってしまいます。

そういう人に話を聞くと,肩こりの自覚がなかったり,あったとしても整体に行ったら自分が思ってた以上に凝っていると驚かれたりすることが多いようです。つまり,身体の感じにあまり意識が向いてないということのようです。

養老猛司さんは,よく,脳が威張り過ぎていると表現しています。脳も身体の一部にすぎないのに,全体を支配し過ぎているということだと僕は理解しています。頑張りすぎちゃう人には,これが起こっているんじゃないでしょうか。身体的には限界なのに,脳が無視するからキャパシティーを越えて無理ができてしまえるのだと思います。

ということは,身体感覚が戻ってくるような,例えばヨガのようなことをすると,疲れてきたときに身体に表れるサインに早めに気付いて,早めに対処できるということです。キャパシティーを超える前に,ストップすることができます。うつの予防にもなるわけです。

ただ,これには欠点もあって,今まで気づかなかった肩こりにも気づくようになるので,しょっちゅう肩がこって大変です。けれど,そうなる人はそれだけ無理していたということでしょうか。


バカの壁 (新潮新書)
バカの壁 (新潮新書)
posted with amazlet at 12.11.28
養老 孟司
新潮社
売り上げランキング: 3129

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年11月15日木曜日

現代の子どもは冷めてる?

前回、子どもがキレやすいというのは本当か?と書きましたが、今回もちょっと似ていて、現代の子どもが昔に比べて冷めていると言われていることについて書きます。
(関連記事:“キレる子ども”というラベル

これ関しても、冷めてたり、無関心というイメージがありますけど、本当にそうなんでしょうかね?僕は怪しいと思ってます。だって、『ONE PIECE』がとんでもなく売れている時代なんですよ。『ONE PIECE』を読んだことがある人は分かると思いますが、とても熱い内容ですよね。主人公は、仲間のためにすごい力を発揮して相手を倒すという少年漫画の王道を行ってます。これが子どもに人気なんですから、心の中に熱いものを持っているということです。

冷めているように見えるのは、表現の仕方として、その部分を前面に出すかどうかの違いじゃないでしょうか。

ちなみに僕は、『ONE PIECE』よりも『NARUTO』派です。同じく内容は熱いですが。


ONE PIECE 1 (ジャンプ・コミックス)
尾田 栄一郎
集英社


---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年11月5日月曜日

“キレる子ども”というラベル

マスメディアでは、一昔前から子どもたちについて「すぐキレる」とか、「甘やかされて育って我慢を知らない」と言っているのを見聞きします。僕もはじめは、そういうもんかもなと思っていたのですが、今は、本当か?と怪しんでいます。そう思うようになったのは、『モンスターハンター』をしてからです。

『モンスターハンター』を知らない人は少ないと思います。人気のゲームですから。そんなに面白いのかと思って、モンスターハンター2を中古で買ってやってみました。やったことがある人は分かると思いますけど、めちゃくちゃ面倒くさくないですか?僕は、2番目に出てくる『ドスファンゴ』というモンスターに立ち上がっては突撃され、立ち上がっては突撃されて、全然倒せず、武器を強化しようと思っても、なかなかお金がたまらずで、イライラの頂点に達し、数日後に売ってしまいました。

そこで、ふと立ち止まって、こんなに忍耐力を必要とするゲームを今の子どもたちはやっているのかと感心しました。メディアで「キレる」とか、「我慢をしらない」などという言われ方をされていることに違和感を覚えたのは、その時です。自分の方がよっぽど忍耐力がないのではないかと不安になります。

カウンセラーの友達に聞くと、『メタルギアソリッド』というゲームは、さらに忍耐力が必要らしく、それをやっている子どもがいたら、それだけで、その忍耐力を褒めてやらなければいけない、とのことでした。昔のゲームは、そんなに忍耐を要求しなかったと思うのですが、どうなんでしょうね?

キレると言われている子どももカウンセリングに来させられたりするのですが、外から理解されづらいだけで、意味も分からず突然カッとなって怒るということはほとんどないです。本人の中では、そうならざるを得ないストーリーがあるのです。

今の、キレる子どもが増えているという事態は、大人の側の要因もあるのだと思います。自分たちにはよく分からない子どもを見たときに、『キレる子ども』というラベルを貼って、距離を置く。そして、そういう子なんだから自分たちが理解できないのは、当然なのだと納得しているような気もします。どうして感情的になっているのかを理解しようという姿勢をもう少し示すだけで、関係が変わっていくこともあるのではないでしょうか。

これと似たラベルの貼り方に、モンスターペアレントというものがあります。考えないといけないのは、『キレる子ども』『モンスターペアレント』というラベルを貼ることで、どんなメリット・デメリットがあるのかということではないでしょうか?やっぱり何かのラベルを貼ることで、相手との関係が良くなるものじゃないとメリットが少ないですよね。


最近の子どもはすぐキレるとぼやく前に…。
モンスターハンターポータブル 3rd PSP the Best
カプコン (2011-09-22)
売り上げランキング: 483

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年10月15日月曜日

不安に関する法則

先のことを考えると、悪い方にばっかり考えてしまって、そうしてるうちに不安がどんどん大きくなってしまって困る、という人が、カウンセリングにはよく来られます。ある時、これを知っておくと少し気が楽かなという法則を見つけました。それは“不安になるほどの考えは、現実には起こらない”というものです。これが本当だったら、不安も和らぎますよね。どんなに心配しても、そう考えたようにはならないということですから。

これを発見したのはずいぶん昔のことで、その後、不安だと訴える方にこの法則が当てはまるか聞いてみました。すると、みんな「そう言われれば、そうかもしれない」と言って、少し安心したような顔をしていました。だから、ほとんど間違いじゃないのだと思います。不安になってあれこれ考えて疲れてきたら、この法則を思い出してみるといいですよ。ちょっとホッとします。

僕は、この発見を喜んでいたのですが、少し前に「これって結局、『案ずるより産むが易し』っていう諺と同じことだよな」と気づいて、がっかりしました。昔の人は偉大ですね。物事の本質をちゃんと捉えています。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年10月5日金曜日

内弁慶、外弁慶



僕の妻の家では、犬を飼ってるんです。この犬が、もうおばあちゃんだからなのか?なまけ者なのか?散歩に行っても全然歩かないのです。少し歩いても、30mもたてば、もう家に帰ろうとしたり、一歩も動かなくなります。たまに、ダッコされて帰ってくるくらいです。

あるとき、僕も散歩してみようかなと思って、連れだしたら、妻もびっくりするくらいちゃんと散歩するのです。たまに、走ったりするほどで、ゼーゼー息を切らしながら頑張ってました。犬にとっては、僕は家族じゃなくて、たまに来るお客さんです。だから、いいところを見せようとして頑張ってたようです。犬でもそんなことするんだなと感心しました。

そこで気づいたのですが、犬でもするってことは、外でいい格好するのは、動物として自然ってことですよね。人間でも、自分の家ではそうじゃないのに、外に出るとちょっとビシッとしたり、頑張ったりする人っています。それは悪いことじゃなくて、自然なことなのです。

けれど、それが反対になっちゃってる人もいます。外ではワガママを出せてるのに、家では自分を出せずに頑張っている人です。それはちょっと不自然だし、どこかでヒズミがでてきちゃいます。自分はどっちのタイプか?振り返って、考えてみるといいですよ。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年9月25日火曜日

ネガティブな考え方をポジティブに

ネガティブ、マイナス思考、後ろ向きなどからは、悪い印象を受けがちです。物事をそんな風に考えないで、明るく、前向きに生きていこう。ネガティブな考え方は、修正した方がいいというのが一般的だと思います。カウンセリングしていても「ネガティブな考え方をポジティブにしたい」と言われることは多いです。そんな風に、考え方全てを変えていくのは、性格を変えるように大がかりな気がしちゃいます。けど、はじめに1つだけポジティブに考えてみるだけで、ずいぶん違ってくることがあります。

それは、ネガティブに考えること自体をポジティブに考えてみるということです。そもそも、自分の考え方はダメだ・ポジティブに変えたいという発想は、ネガティブな考え方をネガティブに捉えているのだと思います。けど、ネガティブに考えることにも、悪い面ばかりでなく良い面もあるはずですよね。例えば、現実にショックなことが起こっても和らぐとか、悪く考えて自分に厳しいから成長していけるとか…。

以前、『プロフェッショナル』という番組で左官職人の方が出ていました。その人は、もともと臆病で、それがずっとコンプレックスだったそうです。けれど、失敗するんじゃないか?失敗するんじゃないか?と考えるからこそ、念には念を入れて、丁寧な仕事になるのだと言っていました。これは、ネガティブ思考の有効活用ですよね。

このように、ネガティブに考えることにも意義を見つけられれば、同じように悪い方に考えちゃった場合でも、内容はネガティブですが、その行為はポジティブなものとなります。考えちゃってる自分は肯定されるので、同じことをしていても自分のしんどさは減っていると思います。

だから、まずは『ネガティブな考え方』のポジティブな面を探してみることは、おススメのやり方です。


プロフェッショナル 仕事の流儀 左官 挾土秀平の仕事 不安の中に成功がある [DVD]
NHKエンタープライズ (2006-09-22)
売り上げランキング: 48623

関連記事:『心が弱い

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年9月15日土曜日

自分に合ったストレス解消法の見つけ方


ストレス解消法って人それぞれで、誰かからすごく良いと勧められても、自分に合っているとは限りません。自分に合った解消法を知っておいて損はないですよ。じゃあ、どうやったら見つけられるのか。その答えの一つは、リサイクルだと思います。

全然ストレスを感じてないのに、ストレス解消を意識している人は少ないです。当たり前のようですが、ストレス解消を意識する時は、かなりストレスがかかっている状態です。特に、今までに経験したことがないほど強くストレスを感じている時には、今までにないくらいなのだから、いつもと違った新しい方法を見つけないと元気にならないと考える人も多いようです。けれど、そういうときほど、今までやっていた気晴らしの方法をリサイクルしてみるのが有効です。普段していて「楽しい」「気持ちいい」「ホッとする」と感じるようなことは、一番自分にぴったりあった方法です。新しいことをしてみても良いのですが、それが自分に合っているかどうかは別問題です。エネルギーがない時に試すのは、リスクが高いです。

だから、ストレスが溜まって元気がなくなったときは、前に同じようになったときに、自分がどうやって元気になっていったかを思い返すのが一番だと思います。そこにたくさんヒントが隠されていますから。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年9月7日金曜日

排他行動


先日、ある動物園の園長さんとお酒を飲む機会があったんです。ちょっと新鮮な角度から人間を見ていて面白い方でした。海外に行くから日本のことが見えてくるように、動物のことを観察しているから人間という生き物をより深く理解している感じがしました。

その園長さんに、「動物もいじめってするんですか?」と聞いてみたんです。すると、「動物なんか、めちゃくちゃいじめるよ」と即答されました。それは排他行動というものだけど、動物は自分の身を守るために他者を排除する。けど、それは悪いことじゃなくて、その種、全体を考えれば必要な行動でもある。排除された者は、その場を去らなければいけなくなって、新しい場所で自分のテリトリーを作る。それがその種にとっては広がりを生み出すことにもなっている。だから、人間も生まれ育った町を離れていくのは自然なことで、戻ってきて親を看取るなんてのは動物の世界ではありえないことだ、というお話でした。

ケニア,野生のサイ
今、いじめについてメディアで取り上げられてますよね。園長さんと話して、やっぱり動物として、人間の中にそもそも根付いている行動なんだなと思いました(人間は知能が高いので、もっと複雑で問題はややこしいとは思いますが…)。

いじめについては、このことを前提として対策を考えないと、全然見当はずれなことになっちゃうんじゃないですかね。もちろん、いじめを肯定するわけでも、いじめている人を容認するわけでもないですが、正しい人がいじめという悪行を懲らしめるという水戸黄門のような図式では、問題解決にはつながらない気がします。前回の記事でも少し触れましたが、“自分の中にも、誰かをいじめたくなる時があるよな”ということを認めてからでないと、前進しない問題じゃないかな、と思うのです。


---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年8月25日土曜日

いい人って、こういうことじゃない?


先日、赤ちゃんと見つめあう機会が立て続けにあったんです。普段、誰かと目を合わせ続けると、何だか居心地が悪くなってきて、長時間はきついです。けども、赤ちゃんとだったら、ずっと見つめ合ったままいられます。しかも、誰とでも。これは赤ちゃんが無邪気だからなのではないか?と発見しました。まさに、字のごとく、邪気が無いわけです。

そこで連想したのですが、“大人はみんな汚い”という言われ方ってありますよね。それは確かに本当で、間違ってないのだと思います。けれど、大人はという制限ではなくて、赤ちゃん以外は、にした方が正しくないですか?

トルコで会った赤ちゃん
本当に小さいころは誰でも無邪気ですが、このハードな世の中に触れるにつれて、何かしら黒い部分って出てきます。ですから、大人に限らず、子どもにだって黒さはちゃんとあるし、そういう部分も持っていないと生き辛くもあるわけです。

そうは言っても、みんな黒い部分を持っているから、嫌な人ばかりなのかというと、そうではないですよね。イコールではないです。いい人だっています。

じゃあ、その差は何なんだと考えると、それは自分が抱えている黒い部分を自覚しているかどうかじゃないでしょうか。僕が嫌だなと感じるのは、自分の黒さを自覚してなくて、漏れ出しちゃってるのが見えた時です。反対に、自分の黒い部分を自覚している人は、不必要にそれを垂れ流すことも少ないので、周りの人にそれほど悪影響は与えないでしょう。

つまり、いい人っていうのは、黒い部分がない人ではなくて、黒い部分をちゃんと自覚している人なのではないでしょうか。それができてる人は、魅力的にさえ見えますよね。聖人と言われる人だって、きっと何かしらの黒い部分を抱えていたのだと思います。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年8月14日火曜日

アンビバレンス


最近、竹島問題が取りざたされていますね。僕は、サッカーを観るのが好きで、オリンピックでの問題から色々と知りました。ネット上では、韓国に対するネガティブなコメントが多いようです。

10年以上前は、歴史の教科書に載っているくらいしか韓国のことを知らなかったですが、ヨン様が登場して、韓流ドラマやK-POPが流行して、日本の中での韓国の認知度は高まったように思います。それで韓国が好きになった人は増えたと思いますが、同時に、韓国を以前よりも嫌う人も増えた気がします。

以前よりも知ったからこそ、好きな人と嫌いな人が出てきたような気がするのですが、どう感じますか?

これが、国というレベルでどういうことを意味しているのか分かりませんが、個人に当てはめて考えてみると、悪いことじゃないよなと思います。

自分が好きな人の中にも嫌な部分はあるでしょうし、嫌いな人の中にも少しは認められる部分もあると思います。どんな人に対しても、100%好きとか、100%嫌いということはないでしょう。大抵は両方を持っています。

この好きだという気持ちと、嫌いだという気持ちを同時に持っていることをアンビバレンスと言います。これを同時に抱えているというのは、スッキリしないですが、大事なことです。

なぜ大事なのかという答えは、スナフキンが語っています。ある動物が「あなたは何でも知っている人でしょう?」と問いかけたとき、スナフキンは「あんまり誰かを崇拝するのは、自分の自由を失うことだよ」と諌めます。名言ですね。その逆もまた然り、ですよね。

楽しいムーミン一家 ムーミンとミイの大冒険/帰ってこないスナフキン [DVD]
Victor Entertainment,Inc.(V)(D) (2008-07-18)
売り上げランキング: 53926

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年7月31日火曜日

できないことで、できるようになること


弱点克服ということは、色々なところで使われていますし、一定の支持も集めているようです。確かに、それも必要なことだと思いますが、多くの場合は、できない所を突きつけられるだけのような気がして、個人的には好きになれません。

僕は、面倒くさがりです。それが高じて、落ちているごみは足でそのまま摘まんでゴミ箱に放り投げたり、両手がふさがっていたら、足でドアノブを回して開けたりするしまつです。その結果、今では足先が器用で、それがささやかな自慢です。

これは僕が面倒くさがりで、いちいちゴミをしゃがんで拾ったり、持っているものを置いてからドアを開けるのが面倒だったから育ってきた能力です。何かダメなことがあると、それを補うように伸びる能力ってあります。

もう1つ例をあげると、僕はあまり英語を話せません(関連記事:『伝える技術』)。それなのに色んな国を旅しているのですが、それを言うと、さぞかし危険な目にあったのではないかと思われるみたいです。けれど、ほとんどそんな目にあったことないです。言葉が通じないと入ってくる情報も少なくなります。だから、その街の状況とかよく分からないまま旅行しているのですが、よく分からないからこそ、周りの気配や雰囲気に敏感になるのです。ちょっと危険な雰囲気のする方には近づかないようにしたり、そういう場所を通る時は、周囲の様子を気にしながら歩いたりしています。つまり、言葉が分からないから、五感が研ぎ澄まされて(とまで言ったら大げさですが)、危険な目に合わないのです。

これらは、弱点克服していたら、育たたなかった能力と言ってもいいでしょう。

本当は、誰にでもそういう部分があると思います。サッカー選手のメッシは、背が伸びない病気だったらしいですが、多分、背が小さい中でも勝負できるように工夫して、今みたいなすごいテクニックを身に付けたのだと思います。

だから、何かが人よりもできないという事を、怖がりすぎる必要はないんじゃないでしょうか。できないことで、できるようになることもありますよ。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年7月23日月曜日

魅力を生み出すもの

僕が旅行に行って感心するのは、カメラマンの腕です。旅行前にガイドブックなどを見ていて、これはすごそうだなぁと期待を膨らませつつ行ってみると、「これが写真の場所?こんなもんなの?」と思うことがあります。やはりプロの仕事はすごいです。

イタリアのマテーラ
けれど、1ヶ月前に行ったイタリアのマテーラという街は、ガイドブックの写真よりも、もちろん僕の写真よりも実物の方が良かったです。写真との違いは、街の質感じゃないかと思いました。乾燥して色あせた街並みが醸し出す雰囲気は、なかなか写真におさめられるものではありません。

よく「中世にタイムスリップしたような」とか「異世界に迷い込んだような」という表現をガイドブックは好んで使ってますが、実際に行ってみるとそうでもないことが多いです。けどこの街は、旧市街に入ると本当に異世界に入ったような不思議な感覚があります。そういう場所はめったにないので、人気が出そうなものですが、今のところ、それほど観光客も来てないみたいです。

もちろんマテーラの街自体も良いのですが、自分が予想していたもの以上の光景が目の前に広がることで、やっぱり魅力が増すと思います。魅力が生まれる時には、このようなギャップが関係していることが多いと思います。

旅行とは関係なく、人に対する印象などもギャップがあると魅力的に見えます。たまに、自分自身に対して持っているイメージからはみ出すような行動をとることにためらいを感じる人がいます。今まで怒ったりしたことないから、急に怒ったりしたら自分のキャラと違うから我慢してるとか…。けど、僕はそういう風なギャップが魅力につながると思うんですけどね。どうなんでしょう。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年7月10日火曜日

心のリフレッシュ

心のリフレッシュというのは、こういうことなんじゃないか?と一周まわって再確認したので、それを書きたいと思います。

先日、クロアチアとイタリアを旅行してきました。1週間という短い時間で、プリトヴィッツェ湖群国立公園→ドブロブニク→アルベルベッロ→マテーラを見てまわりたかったので、予定を詰め込みすぎてしまいました。それに加え、時差と暑さで休暇なのに身体的にはかえって疲れました。けれど、気持ち的にはリフレッシュできたと思います。


『リフレッシュする』=『何も考えないで、ただ頭をからっぽにする』というイメージを持つ人もいるのではないでしょうか。けれど、よく考えると、頭をからっぽにするというのは、お坊さんが修行してやっとたどり着く境地のような気もします。僕の場合は、旅行中、からっぽどころか、色々と考え続けています。あの予約はちゃんととれてるかな?と心配したり、この街をこのぐらいの時間に出発すれば次の街には暗くなる前に着くかな?とか、次は、港町に行くから、シーフードは明日にとっておいた方がいいかな?とか…。もちろん、その国について考えを巡らせてもいるので、頭の中は、むしろ普段よりも忙しいくらいです。

そうしているうちに、頭の中は日常から切り離されていき、旅行についての考えで埋め尽くされます。そして、1週間が経つ頃には、身体は疲れ、気持ちはリフレッシュされているのです。

リフレッシュというのは、頭をからっぽにするのではなく、別の何かで埋めていく作業のような気もします。何か悩みがあるときに、映画を観たり、小説を読んだりするのも、その1つだと思います。ここまで書いてみて、当たり前のことをまわりくどく説明しているだけのような気もしてきましたが、行き詰ったときには、意識して全く関係ないことで頭の中を一杯にするのは、一つの方法かもしれません。

アルベルベッロの路地裏

写真は、トゥルッリというトンガリ屋根の家で有名なアルベルベッロの街並みです。トゥルッリはそんなに大きくないのですが、中に入ると何故か落ち着きます。どうしてなのか考えたのですが、それは建物の内部に直線がないからなのかもしれません。よく観察していると、構造も難しくないし、自作できそうです。こんな小屋が庭にあったらいいなと思いました。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年6月25日月曜日

乗り越えるべき壁?

今回は、壁を乗り越えることについてのお話です。

なにかの趣味にしても、仕事にしても、行動や考え方にしても、自分が成長していく過程では、どこかで壁にぶち当たります。その壁を乗り越えるというのは、外から見ている分にはドラマがあるので、小説や映画、マンガなどの題材になってます。特に少年マンガでは、主人公がなかなか敵を倒せないとき、自分の中の壁を乗り越えて、今までにない力を出して敵を倒す、というシーンはよくあります。見ていてこっちも力が入るところです。

けれど、ある人が「なんか、壁があったら乗り越えなきゃいけないっていう感じに世の中の流れではなってるけど、私は、そうかな?って思う。逃げ切れる人ってかっこいいなぁって思う。私は逃げて逃げて、逃げまくりたい。できれば、こっそりいなくなって、逃げたことを周りに気付かれないようになれるといい」と言ってました。僕はこれを聞いて、目からウロコがポロリと落ちました。

もちろん、この人も自分にとって大切なことだったら、何とか乗り越えようとがんばるはずです。全くそういう気がなければ、そもそも壁を乗り越えることなんて意識しないでしょうから。けれど、僕たちは、自分では特に大切だとは思っていないことなのに、いつのまにか壁の前に立たされていて、「乗り越えろ」とお尻を叩かれることがあります。この人が言ったのは、そういう時のことだと思います。そのような状況に追い込まれると、とても苦しいです。「できない自分に力がないのかぁ」と悩んだりします。

僕は、そうやって悩んでいる人の話を聞くと、『西の魔女が死んだ』という小説を思い出します。その中で、「シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」というセリフがあります。要は、自分に適した場所に行くのはとても自然だということなのでしょう。それは、逃げるということとはちょっと違うのかもしれません。

もし壁にぶつかったらちょっと立ち止まって、そこがハワイなのか?北極なのか?を考えてみるといいですよ。自分がどうすべきなのかが見えてくるかもしれません。

西の魔女が死んだ
西の魔女が死んだ
posted with amazlet at 12.06.21
梨木 香歩
小学館
売り上げランキング: 33231


---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年6月15日金曜日

“考える”についての考え

今回は、本の紹介です。『世界を歩いて考えよう!』というタイトルです。
著者が世界を旅する中で、驚きや感動や違和感などから考えを広げていき、新しい物の見方を提示しています。


外国について書かれた本は、その国の歴史・経済・文化のいずれかの切り口を掘り下げていくものが多いですが、この本は、それら複数のジャンルをつなげながら描いています。ですから、立体的にイメージしやすく、その国を旅しながら感じ、考える感覚がよく伝わってきます。僕も、旅行が好きでたくさんの国を旅しましたが、なるほど、そういうことが起こっていたのかと感心する点が多かったです。旅行が好きな人には、これから旅する際に、ここも注目したら面白いかもという視点を増やしてくれますし、旅行しない人には、教科書に載っていることやニュースで流れていることが、その国では実際にどういう影響として表れているのかを理解する助けになります。


けれど、この本の魅力は、そのように少し距離を置いた所から感心するだけでなく、自分から進んで考えることの面白さを教えてくれる点です。文中には、“自分のアタマで考える”というキーワードが出てきます。自分の頭で考えるのは、もちろん大事なことですが、どこか面倒な気もしちゃいます。それは、そうせざるを得ない状況に陥って、考えさせられているときのイメージと被ってしまうからだと思います。ですが、本の中で出てくる疑問や引っ掛かりに対して、自分もちょっとだけ想像力を働かせて読むと、気づきがあり、今まで自分が見ていた景色が一変する楽しさを体感できます。やっぱり、能動的に考えることと考えさせられることは、行為としては同じですが自分の感じはずいぶん違うものです。自分と異なる文化との出会いは、世界に出なくてもしょっちゅうあります。そこで起こった引っ掛かりを大切にしたら、日常がもう少し面白くなるのかも、などと考えました。


社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!
ちきりん
大和書房
売り上げランキング: 159

という手がかりからさっそく自分のアタマで考えを広げてみると、悩むというのも考える行為の一種ですよね。つらい悩みは、客観的には、その人が勝手に悩んでいるように見えますが、主観としては受動的で、悩ませられていることが多くないですか?自分のコントロールできないところで勝手に湧いてきて、嫌なんだけど考えさせられちゃってる気がします。反対に、晩ごはん、ハンバーグ食べようか?トンカツ食べようか?と考えるのも悩みですが、自分から悩んでいるので苦しくはないです。ですから、本当につらくて、悩みに翻弄されている場合は、むしろ自分から、「よし、これについて悩んでやろう」と主体的に悩む時間を作るのも一つの手かなと思います。おそらく、同じ内容を考えていても自分の体感は違いますよ。

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年6月5日火曜日

助けられ力

ヒーローに代表されるように、誰かを助ける力というのは注目を集めがちです。けれど今回は、助けられる側について書きたいと思います。

2年前に、チュニジアと南イタリアを旅行しました。チュニジアは、イタリアから地中海を挟んだ対岸にある国です。はじめにチュニジアを周って、その後、フェリーに乗ってシチリア島へ渡りました。シチリアには、夜の10時半に着く予定でしたが、出発がすごく遅れて夜中の2時に着きました。遅れた理由を聞くと、チュニジア人がチケット売り場にちゃんと並ばなくてケンカになり、手続きが遅れたということでした。確かに、日本では当たり前のように列を作りますが、チェックインカウンターにごちゃっと人が集まっていて、口論になってました。僕も真似して割り込んでみたら、チュニジア人にメチャクチャ怒られました。

チュニジア Sidi Bou Said
そんな理由で深夜2時に着くと、ゴミをあさっている人以外は誰もいなくて、危険な香りが漂っていました。シチリア島=マフィアというイメージも後押しして、ドキドキしながら、急いでホテルに行きました。けれど、僕が予約していたのは安いホテルで、着いたらシャッターが完全におりていて、中をのぞくと真っ暗でした。これは野宿しかないかな?けど、危険だよなぁと考えながら、どうしたらいいのかしばらく途方に暮れました。

すると、細い路地からトロトロと一台の車が走ってきました。僕は車の前に身を投げ出し、人生で初めて心の底から「Please help me.」と言いました。車には、若いカップルが乗っていて、「どうしたの?」と聞いてくれました。僕が事情を説明すると、「そこ(ホテルの入口)に電話番号が書いてあるから、電話したら?」と。「いや、僕はイタリア語話せないから…」と言うと、彼らが電話をかけてくれました。そして、「10分くらいでホテルの人が来るみたい」と教えてくれ、その間、車を脇に停めて一緒に待っててくれました。

僕は、汚い恰好で旅行していたので、彼らからしたら、僕の方があやしい東洋人です。それでも彼らが助けてくれたおかげで、屋根の下で寝ることができました。けれど、ちょっと見方を変えると、そこで何か助けてやろうという気持にさせて、助けてもらえるというのも、一つの能力じゃないかと思うのです。これを僕は“助けられ力”と呼んでいて、一つの才能だと自惚れています。前に、僕は英語があまり話せないのに外国を旅行していると書いたのですが、こういう風に色んな人に助けられつつ旅行しているのです。
(関連記事:『伝える技術』

普通は、人を助けたり引っ張っていく人の方が、尊敬されたり、目指すべき目標とされます。のび太よりもドラえもんの方が、やっぱり目立ってますよね。けれど、いつも人に助けられているのも、それはそれで、才能ではないでしょうか?とげとげした、嫌な雰囲気が出ていたら、誰も助けてはくれないと思います。どこか力をかしたくなるような雰囲気がただよっているから、助けてもらえるのでしょう。

これって地味だけど、人と一緒に何かするときには必要な力ですよね。当たり前のことですが、一人でやれることには限界がありますから。


関連記事:『伝える技術』

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年5月27日日曜日

心のディフェンス力をupさせる


人との関係でも、天敵のような存在っていますよね。ハブにとってのマングースのように…。ハブに困っていた人間は、天敵に駆除してもらおうと考え、外来種であるマングースを野に放ちました。けれど、そんな計算はまんまと外れ、マングースはハブを襲わずに、天然記念物であるアマミノクロウサギなど、希少な動物を次々に襲って生態系を壊してしまいました。ハブは、人間にとっては厄介な存在でしたが、アマミノクロウサギにとっては用心棒のような存在でもあって、同じ穴で冬眠をすることで他の敵から身を守っているらしいです。

天敵とまではいかなくても、誰でも苦手な人はいます。そういう人との関係で苦しむときは、自分が酷いことを言われたり、理不尽なことで怒られたりすることが多いです。そして、そういう状況が続くと、気持ち的に疲れてしまいます。

「そんなの簡単じゃん。直接相手に文句を言えばいいじゃん」というアドバイスはよく聞きますし、それは正論です。直接自分の思っていることを相手に言えれば一番良いし、手っ取り早く解決すると思います。ガチンコ勝負というやつです。けど、「言ったら後から何されるか分からない」「その後の関係がギクシャクしそう」と思ってしまうのも、また人の心というものです。苦手な人に向かって直接文句を言うのは難しいです。簡単に言えるくらいだったら、もう苦手じゃないかもしれません。

じゃあ、どうすればいいのか?というのは、やはり簡単には解決できないですが、直接本人に言えない場合、僕は心の中で相手に対する反論をたくさん考えるといいと思います。

それをしたからといって、目に見える何かが変わるわけではありません。けれど、「それはそっちが悪いだろ!」とか「それはただの八つ当たりじゃないか!」と思っていると、気持ち的な守りが強くなるのです。また、同じようなシチュエーションにさらされた時のダメージが、ずいぶん軽くなってると思います。

こう書くと、何でも他人の責任にしたら、ただのワガママになるんじゃないか?と心配する人もいるかと思います。しかし、そういうことで苦しむ時には、自分が悪いんだと思い過ぎていることが多いです。「自分がダメなのかぁ」「私が悪かったんだ」という思いが強いと、ダメージも大きくなります。何か問題が起こった時に、全部相手のせい、ということがあまりないのと同じように、全部自分のせい、ということもあまりないですよ。だから、反論を考えて、バランスをよくすると心の守りが強くなります。

そんな手間がかかることじゃなくて、いっそのこと苦手な人がいなくなってしまえば、問題は解決だろうという考えもあります。けれど、もっと広く考えてみると、ハブとマングースとアマミノクロウサギのように、そんな人もどこかで自分の役に立っていることがあるのかもしれません。もちろん、大変な渦中にいる時は、とてもそんな風に考えたくはないでしょうが…。

関連記事:『心が弱い

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年5月15日火曜日

感情をコントロールしすぎると…

以前、自分の気持ちを誰かに言えると心が癒える事について書きましたが、今回はその一歩手前の『思う』ことについて書きます。
(関連記事:『自己主張の意味』)

心理学を学んだことがない人でも、フロイトを知っている人は多いと思います。インド人が数字で『0』という概念を作ったのが偉かったように、フロイトは『無意識』という概念を提唱したことで有名です。

フロイトがバリバリ仕事をしていたのは、今から100年くらい前でした。その頃は、女性が性的なことを考えるなんてみっともない・はしたないという時代背景があったそうです。だから、そんなことを考えちゃいけないと自分で自分の感情や思考を制限している人が多くて、ちょっとした性的な刺激で卒倒する人がいたらしいです。フロイトは、その仕組みを『抑圧』と呼びました。

『アルプスの少女ハイジ』の中でも同じ仕組みが描かれています。ハイジはアルプスの大自然で、楽しく暮らしていたのですが、ある日、大都会のフランクフルトのお金持ちの家へ無理矢理連れて行かれます。そこで、歩けない少女、クララの勉強相手をして暮らすことになります。ハイジはクララとは仲良くなるのですが、執事の厳しい躾や都会の生活になじめず、次第にアルプスに帰りたいと思うようになります。クララは、ハイジがいなくなってしまうのではないかと心配します。それを知った執事は、「お嬢様が心配なさるから、アルプスのことをしゃべってはいけません。考えてもいけません」とハイジを怒ります。するとハイジは、夜中寝たままの状態で、家の中を歩き回るという夢遊病になってしまいます。

ドイツ側から見たアルプス

ハイジがアルプスのことを考えていたように、何かを考えたり思ったりするのは、本当はその人の自由ですよね。けれど、誰でも「そんなこと考えちゃダメでしょ」と一度くらいは言われた経験があると思います。そういう風に自由に考えたり、思ったりすることを制限されるのは、心にとって大きな負担になるのです。

例えば、好きな人にフラれちゃった人が、とても傷ついて「もう生きててもしょうがない」ともらしたとします。そしたら、「そんな風に考えるもんじゃない」「そのうち、必ず良いことがある」「悪いことばっかりじゃなかったでしょ」などのアドバイスがされがちです。確かにそうなんですけど、思ってるだけならいいじゃないですか。生きててもしょうがないと思っていることと、死んでしまおうと行動に移すことは全く別物です。ちゃんと落ち込むから、ちゃんと回復するということもありますしね。

僕がきついんじゃないかと思うのは、「『もう生きててもしょうがない』なんて思っちゃいけない」というように自分の思いを強く規制することです。『思っちゃいけないことはない』ということが、頭の片隅にあると少し自由になれますよ。


ちなみに、クララが歩けなかったのも心理的な問題によるものです。アルプスの少女ハイジはとても示唆に富んでいますよ。


関連記事:『自己主張の意味

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年4月25日水曜日

イメージに幅を持たせることで、自分を変える


前回は、小さな変化を大事にして、それを大きくしていくことで自分を変える方法について書きました。
(前回記事:『特別なことをせずに自分を変える』

こう書いてしまうと、やっぱり自分を変えていくなんて難しくて、少しずつ時間をかけてしか変えていけないと感じてしまうかもしれません。けれど、そうではなくて、ある日突然変わるということもあります。

それを実感したのは東南アジアを旅行しているときです。当時、僕は二十歳を過ぎてもビールが苦手で、なんとなく無理して飲んでいました。けど、東南アジアは熱くて熱くて、歩くと汗びっしょりになるほどで、食堂に入ったら自然にビールを注文していました。そこでビールを飲んだら、今までとは違って、美味かったのです。その後は、夏だろうが冬だろうが、ビールが冷たかろうが生暖かかろうが、まぁおいしいです。そんな風に突然変わるということもあるので、人が変化するということについては、あまり断定的なことは言えないです。

ベトナムの食堂

実際には、自分を変えるのは時間がかかることが多いですが、“ある日突然、変わることもある”と思っているのは大事なことだと思います。イメージの持っている力は大きいです。時間がかかるもんだと思っていたら、本当に長い時間かかってしまうことは結構あるようです。体温を測る前はちょっと調子悪いかな?というぐらいだったけれど、測ってみたら38度もあって、そしたら急に具合が悪くなってくることってありませんか?

だから、自分に対するイメージの幅を持たせておくのは、自分を変えていくときに大事なポイントだと思います。ああなるかもしれないし、こうなるかもしれないというイメージを持っていると、曖昧ですが、自由度は高いので、変わっていきやすいです。

(関連記事:『特別なことをせずに自分を変える』

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年4月16日月曜日

特別なことをせずに自分を変える


自分を変えようと思ったら、何をしようと思いますか?一般的には、問題点を明確にして、それを改善するようなイメージが強いのではないでしょうか。けれど、このやり方で変えるためには、2つの関門を突破しなければいけません。1つは、自分のダメなところを見つめないといけないということ。もう1つは、習慣づいた自分の行動を変えないといけないということです。そんなの当たり前のように思えますが、実際にやろうと思ったら結構大変です。裸の王様のように、本人だけが自分の問題点に気づいていないことはよくあります。また、ダイエットのように、問題点もやるべきことも明確だけどなかなか続かない、分かっちゃいるけどやめられないということもよくあります。

そう考えると自分を変えるのはとても大変ですが、もう少し負担を抑えつつ自分を変えていくこともできます。それは、今すでにある小さな変化を見つけて、それを大きくしていくというやり方です。これをカウンセラーの世界では、『雪玉効果』と呼んでいます。

今年は、温暖化って本当なの?と疑ってしまうほど冬が厳しかったので、雪だるまを作った人もたくさんいたかと思います。雪だるまを作るとき、小さい玉を作って、転がして大きくしていきますよね。この方法が、無理なく自分を変えていく方法と近いのです。どいうことかと言うと、今の自分に嫌なところがあって、変えたいなぁと思っているときも、小さい変化や自分で気づかないうちに起こっていた変化を大事にしてみるということです。そうすると、いつのまにか大きな変化に繋がっているのです。

もう少し具体的な例えで言うと、100mを12秒で走っていた人がいるとします。その人は10秒で走りたいと思って練習して、11.5秒で走れるようになりました。そのときに「まだ全然ダメだ。どこがダメなんだろう?」と思うよりは、「何で0.5秒早く走れるようになれたんだろう?何が良かったんだろう?」と考えてみる、ということです。こういう風に小さい変化を探し出して良かった点を続ければ、どんどん変わっていきますし、小さい変化について考えていると、もっと大きく変わるためのヒントも隠されています。少しずつ前に進んでいる感じもするのでやる気も出ますしね。


もちろん、ストイックに自分の問題と向き合って、それを改善していく方がいい場合もあると思います。けれど、僕の好みはこのやり方ですし、相談されれば、まずこれをおススメしたいですね。


(ここから考えを広げてみた記事:『イメージに幅を持たせることで自分を変える』)




---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年4月5日木曜日

広い意味での適材適所


今回は、やはり自分に合った環境で過ごすことは、生物として大事なことだと思ったエピソードです。

僕が見る限りでは、旅行が好きな人には、山登りやスキューバダイビングも好きな人が多いです。僕は、どちらにも興味がなかったのですが、以前、タイに行った時に暇だったので、スキューバダイビングに挑戦してみました。

タイでみかけたネコ


日本人のインストラクターに申し込めば良かったのでしょうが、値段も高いので、僕は英語を話すインストラクターのコースに参加しました。インストラクターはアメリカ人で、流暢な英語でダイビングの仕方や、困った時のサイン、留意点などなどを説明してくれました。けれど、自分が思ってた以上に自分の英語力は低かったようで、話していることの3分の1くらいしか理解できませんでした。まぁ、でも誰でもやれてるんだから、なんとかなるだろという気持ちもあって、ちゃんと分からないまま「あー、OK、OK」といい加減な返事をしていました。

ダイビングをしたことがある人は知っていると思いますが、潜る前には重りの付いたベルトを巻かれます。初心者は、泳いでいると身体が浮いてきてしまうらしいのです。窮屈なウェットスーツの上に、重いベルトをきつく締められ、これが結構お腹を圧迫します。

まぁ、でもこういうものなのかなと思い、水の中の世界を期待しつつ実際に潜ってみると、10秒で海面にあがりたくなりました。まず、呼吸の仕方がよく分らないのです。ようやく息を吸えても、僕の実感としては全然足りてません。これは一回あがった方がいいのかなと思っても、インストラクターは、素人の僕が浮いてしまわないように、首根っこを押さえつけながら並行して泳いでいるので、あがることもできません。

上手く呼吸ができないから、試行錯誤しているうちに海水も飲んでしまうし、そうこうしているうちに、お腹が圧迫されすぎて気持ち悪くなってきて、吐きそうになってきました。酸素を取り入れるのに必死なのに、中からはゲロがこみ上げて来て、これもまたパニックです。けれど、どうしようもなくなって吐いてしまうと、それが撒き餌のようになって、フワーっと小魚が集まってきて、その一瞬だけは本当にキレイでした。

何とか船に這い上がった僕は、倒れこんでずっと空を眺めていました。そして、グロッキーっていうのはこういうことなんだなと実感しました。

ここから得られる教訓は、2つです。
1つは、前回、雰囲気を使ってコミュニケーションをはかることをおススメしましたが、やっぱり相手の言葉を理解して話すことも大切だということです。それができないと、海中で大変なことになります。
もう1つは、人間は地上の生き物だということです。やっぱり、自分に適した環境で生きることは、大事なことだと再確認しました。

前回記事:『伝える技術』
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年3月25日日曜日

伝える技術

前回、自分の思いを言葉にすることをおススメしたので、今回は、じゃあ、どう伝えたらいいのか?について書きたいと思います。
(前回記事:自己主張の意味

僕は外国に行くのが好きで、今まで40カ国に行きました。前にも書きましたが、旅の良さの一つは、その国の人との交流です。ですから、旅行中は日本にいる時よりも能動的にその国の人に話しかけて、やり取りを楽しみます。
(関連記事:物々交換

以前、弟とスーパーにいたら、外国人の女性が『北海道チーズ』と書かれた箱を手に持ちながら近づいてきて、「これは日本のチーズなのか?」というようなことを英語で聞いてきました。弟は、外国に行ったことがありません。ここは兄らしくカッコいい所を見せようと、「そうだよ。日本の物で、北の方の北海道という所で作られたみたいだね」と、得意になって余計なことまで教えてあげました。けれど、その女性は「?」という顔をしていて、僕が「あれ?」と思っていると、弟が横から出てきてペラペラと女性に話しかけ、その女性は納得してどこかに行きました。それから僕の方を向いて、「兄ちゃん、違うよ。『日本のチーズなのか?』って聞いたんじゃなくて、『日本語でチーズって書かれてるか?』って聞いてたんだよ」と解説してくれました。外国に行ったことすらない弟の方が、僕よりも英語を聞き取れていたのです。内心、かなり恥ずかしかったんですが、「あぁ、そうなんや」とだけクールに言っておきました。

何が言いたかったかというと、こんな程度の英語力でも、旅行して出会った人と話したり、やり取りしたりはできるのです。それは、言葉の内容を聞き取っているのではなくて、相手が話している時の雰囲気で何が言いたいかを読みっとって、自分も雰囲気を使って伝えているのだと思います。誰かに自分の思っていることを伝えるとき、どんなことを話すか?はもちろん大事ですけど、どんな雰囲気で話すか?はもっと大事だと思います。

この点を、クリエイターの箭内道彦さんはとても上手に表現しています。
「自分のことを好きだと告白してきた相手が緊張のかけらもなく、ものすごく饒舌だったら、『あれ、ほんとに自分のこと好きなのかなあ』と思いませんか。うつむいて、真っ赤になりながら、声を震わせてぼそぼそ呟くほうが伝わることというのもたくさんある」とのことです。(『サラリーマン合気道』より)

コミュニケーションが上手な人のイメージって、どんなものでしょうか?嫌な相手でも、相槌をうちながらちゃんと意見を聞いて、相手が受け取れるように噛み砕いてから自分の考えを伝える、というようなものが一般的ですかね。確かに、円滑なコミュニケーションをはかるという点では、これがいいと思います。けれど、自分の思いを伝えるという点では、やはり思っていることが雰囲気に滲み出るような伝え方の方がいいのではないでしょうか。何を言っているのか分からないけど、旨そうに料理にがっついてる人と、クールに食べて流暢においしさを語っている人とでは、どっちの方がおいしそうに見えるでしょうか?

今まで自分の思いを溜めこんでいたけれど、少しずつ話せるようになりたい時や、トラブルがあって関係が悪くなっちゃった人と、何とか修復したい時などに「どういう風に話したらいいか分からない」という人がいます。けれど、そういう時は、うまく話さなくてもいいんだと思います。『どういう風に話したらいいか分からない』という気持ちを感じながら話すから、自分の思いの強さや真剣さが相手に伝わることもあります。

ちなみに箭内さんの『サラリーマン合気道』という本は、発想や考え方を自由にしてくれる話がたくさん盛り込まれています。下手なメンタルヘルス関係の本よりもよっぽど分かりやすく、本質をついたものだと思います。僕のカウンセラー仲間に紹介したらやはり好評で、内輪で流行っていました。サラリーマンじゃなくても、関係なく読めますよ。

サラリーマン合気道 (幻冬舎文庫)
箭内 道彦
幻冬舎 (2010-08-05)
売り上げランキング: 75841


関連記事:自己主張の意味物々交換

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年3月17日土曜日

自己主張の意味

数年前に『夢をかなえるゾウ』というドラマがありましたが、見てましたか?主人公が、夢をかなえてもらうために、ガネーシャという神様から出された課題をこなしていくというストーリーです。ドラマが放送された頃に、バリ島に旅行に行ったのですが、バリではほとんどの家でガネーシャが祀られていました。ヒンズー教は多神教なので様々な神様がいますが、その中でも人気が高いようでした。ドラマの中のガネーシャは、自分は有名なんだと主張していましたが、へー、本当にそうなんだぁ、と思った記憶があります。

バリの人は、ガネーシャに色々なお願いをするらしいです。それが、日常に溶け込んでいるようでした。例えば、子どもが言うことをきかないときにも良い子にしてくれとお願いするんだそうです。直接本人に言ったら、家族だからキョリも近いし、きつい。だからガネーシャにお願いして、そこから変えてもらうのだと教えてくれました。

本人に直接言わないという文化は、なんだか日本と似ていますよね。

バリで出会ったおばあちゃん

直接本人に言うのは、なかなか難しいことがあります。良いことだったら話しやすいけど、悪いことを伝えるのはなかなか難しいです。「こんなこと言ったら相手が傷つくんじゃないか?」「後で、余計にギクシャクするかもしれない」とも考えてしまいます。そして、本当にそうなっちゃうことも多々あります。サッカーの日本代表を見ていると、かつて中田や本田が代表に入り始めたとき、チーム内で自己主張して、周りとギクシャクした時期もあるみたいですしね。

今まで自分が思っていることを話さないできた人が、話すようになるというのは変化です。変化するということは、今までのやり方を一度壊して作りなおすという大変さがあります。だから、自分の気持ちを話さないでいるときは、きついんだけど、安定もしているということです。かと言って、言わないでいると気持ちのモヤモヤが溜まっちゃうというジレンマがあります。このバランスはなかなか難しいですね。

僕は、溜め込めるというのも、気持ちのモヤモヤを持っている強さがないとできないので、その人の長所だと思っています。けれど、あまり溜め込むとやっぱり苦しくなりますよね。チャンスを見つけて、少しだけ思っていることを話してみたり、モヤモヤした気持ちを誰かに聞いてもらうと、軽くなると思いますよ。言えるようになると、気持ちも癒えるということはたくさんあります。
何も、自分が一番苦手な人に言わなくてもいいみたいです。いきなりエベレストを登ろうとしてもリタイヤしてしまうので、まずは近場の低い山から登るといいですよ。

写真は、バリで会ったおばあちゃんです。バリはリゾートで有名ですが、少し離れると独特な雰囲気を持った小さな町がたくさんあって、なかなかいいですよ。

自己主張の一歩手前について書いた記事:『感情をコントロールしすぎると…


---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年3月5日月曜日

失敗は成功の母

電球を発明したことで有名なエジソンは、そのために多くの実験を繰り返してきたそうで、その苦闘についてこう語ったらしいです。「私は今までに一度も失敗したことがない。電球が光らないという発見を、今まで二万回してきたのだ」と。

エジソンが、ただとんでもなくポジティブだっただけかもしれません。しかし、この言葉には、上手くいったかどうかという結果だけが全てでなく、何かに挑戦してみて、どこがダメかを発見できることの重要性も差し示しているのだと思います。

ジブリの『耳をすませば』という映画を見たことはありますか?その中で、主人公が、あるきっかけで自分に文章を書く才能があるのか、実際に小説を書いて挑戦してみるという話があります。その結果、荒削りではあるけども、才能の原石が眠っているということが分かりました。しかし、才能があったから良かった良かった、めでたしめでたし、という話ではなく、文章が上手に書けたとしても、反対に全然ダメだったとしても、それにチャレンジしたことによって「自分は文章を書く才能があるな」とか「私は書くよりも読む方がいいんだな」ということが分かることが大切だと思います。実際に映画の中でも、主人公は、頭の中で色々とイメージは浮かぶけども、それを文章にするためにはもっと勉強しなくちゃいけないと気づきます。
そうやって自分の特徴をよく知っていれば、自分の得意なところを伸ばしていけると思いませんか?

逆に、自分のことが分かってなかったら、いつも同じところで引っ掛かることになりますよね。視力が低下しているのに、自分はそれに気づいていなかったら、壁にぶつかったり転んだりしちゃうかもしれません。けれど、そのことを知っていれば、メガネを買えば済むだけです。

こういうことって、自分の性格でも同じことが言えます。自分にとって嫌な性格は、克服しなくても、知っていれば避けて通れることがたくさんあります。

だから、何か失敗したり、つまづいた時には、エジソンのように考えてみてもいいんじゃないでしょうか。自分の特徴を発見するのは、一時的な成功・失敗だけでなく、自分がこれから生きていくのにずっと役立つ知識になりますよ。
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月26日日曜日

『納得』の見極め‐人生の選択を迫られた際の一助‐

前回、岐路に立った時にはどのくらい悩むかが大切ではないかと書きましたが、そこからもう少し考えを進めてみたいと思います。
(前回記事:岐路に立ったら

悩むのが大切とは言っても、ずーっと悩んでいることは、現実の中ではなかなかできません。「自分は一体、何のために生まれてきたんだろう?」というような悩みは、ある程度時間に余裕がありますが、岐路に立たされるような場合は、たいてい時間的な制約がくっついてきます。結局はどこかで区切りをつけて、何かを選択しないといけないですよね。1ヶ月後に結婚する人が、本当にこの人と結婚していいのか?と悩めるのは、1ヶ月です。

限られた時間の中で、何かを選択しなければいけない時、一つの基準となるのが、どのくらい納得できるか?ということだと思います。自分にとって大きな選択でも、充分納得して選べたら、それほど後悔することはないと思います。その選択が、自分にとってキツイものかどうかは別ですが・・・。

しかし、どのくらいの納得で、充分納得、とするのかは、これまた判断がなかなか難しいです。例えば今の仕事を続けるか、それとも辞めてしまうかという2つの選択肢で悩んでいるとします。今の仕事だと収入も安定しているが、本当に自分がやりたい仕事なのかどうか疑問に感じてしまう。仕事を辞めて、自分の興味がある仕事につくとしたら、やりがいはあるかもしれないけれど、今よりも仕事の内容はキツイ。収入も安定するか分からない、と。

そこで、こういうことをイメージしてみるのはいかがでしょうか?

いろいろ悩んだあげく、結局は仕事を辞めると決断したとします。しかし、3か月後くらい、少し自分が選んだ道を歩みだしたくらいの頃に、交通事故に巻き込まれて自分が死んでしまったと仮定してみます。その時に、果たして自分はオバケになって化けて出るだろうか?と思いをはせてみて下さい。化けて出そうだったら、自分の中にどこか引っかかる事があったり、後悔が残っている。死んでも化けて出なさそうだったら、充分納得したと割り切ってみます。このイメージ、判断の目安としていかがでしょうか?オバケなんて、そんなのいないからイメージできないという人にはおススメできないですが。

関連記事:岐路に立ったら
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月19日日曜日

岐路に立ったら

人生の岐路に立った時、この写真のような状態になってしまうことがありませんか?前にも後ろにも、右にも左にも行けない。どれかを選ばないといけないけれど、どうも、どれを選んでも先は暗いらしい。


こんなときはどうしたらいいものか悩みます。大抵は、最悪な中でもできるだけましなのはどれか?ということを考えるようです。被害は最小限に抑えたい…。でも、嫌なことが待ち受けていそうだから、一歩を踏み出したくはない…となってしまいます。

「どっちに行っても最悪なように思えるんですけど、どっちを選択したらいいんですか?」ということを、カウンセリングの中で聞かれるときがあります。これはすごく難しい質問ですよね。どっちの道に行くことが良いのかは、僕には分かり得ないですし、誰にもはっきりとは分からないのです。もしかしたら、江原さんは分かるのかもしれないですが、普通に考えると、先のことは神のみぞ知る、です。

じゃあ、考えるだけ無駄なのかというと、そうではないと思います。僕はこういうときに、どの道を選ぶかということよりも、どのくらいその事について悩むかが大切だと思っています。要するに結果よりも過程が大切だと思うのです。

どっちにしようか?とあまり悩まず、いい加減に決めてしまうと、「やっぱり別の道にすれば良かった」と後悔が残りやすくなるみたいです。反対に、ちゃんと悩めば悩むほど、選んだ後に後悔することは少ないようです。何でそうなるのか、はっきりとは分かりませんが、たくさん悩んだので、自分が選んだものに思い入れが強くなるということはありそうです。何か良いことが起こったら「やっぱりこっちで良かったんだ」と、その変化に気づきやすくなるのかもしれません。また、悪いことが起こった時には、その結果を、他人のせいにするのでなく、自分の責任として腹をくくって捉えられるのかもしれません。

理由はどうあれ、自分で「よし!これは大事な場面だから、ちゃんと悩んでみよう!」と思って悩んだ方が、いつのまにか悩んでたというときよりも悩みに翻弄されることが少ないようですよ。

もう少し考えを進めてみた記事:『納得の見極め

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月13日月曜日

物々交換

学生の頃から、海外旅行が自分の生活で重要なポジションを占めています。僕は、行きと帰りのチケットだけ買って、できるだけその国の人たちと同じ水準で生活しながら、街をフラフラするのが好きです。行く前には、ほとんどその国のことは調べません。行きあたりばったりというのが、一番そこに住む人とのやり取りが発生して面白いです。出発前に情報を入れすぎると、新鮮な感じも薄れてしまいますし…。

当然、仕事を持ってからは1週間程度しか行けないのですが、数年前にアフリカらしいアフリカに行ってみたいと思い立ち、ケニアに行きました。飛行機を乗り継いで、ナイロビの空港に着き、外に出てみると、もうそこにはキリンやシマウマがのそのそと動いていました。ナイロビは治安も悪いらしいので、僕はすぐにサファリツアーを申し込んで、都市を離れました。

サファリというのは、車に乗りながら野生動物を見て回るものです。夜は、ハイエナの遠吠えや、何かの足音に怯えながらテントで寝ます。朝日を見ようと歩いていると、マサイ族がやってきて、「朝は、危ないから早くテントに戻れ!前にイギリス人がゾウにアタックされて死んだんだ」とのこと。さすがにアフリカまで来ると、人間だけでなく野生動物にも襲われる心配があるのかと笑ってしまいました。

マサイ族の若者

サファリの合間、僕もそうなのですが、マサイ族も暇そうにしていたので、彼らと話をしました。その中で、一人のマサイの若者と仲良くなり、話しているうちに、ふと、彼が腰からぶら下げている木の棒のようなものが目につきました。聞いてみると、その棍棒で動物と戦うのだと言います。人間以外はどんな動物でも倒してきて、ライオンでさえこれで殺す、と。棍棒は先端がドライバーのヘッドのような形で、長さは孫の手くらいしかないのです。このリーチで戦うなんて無謀じゃないか?などと考えていると、「お前は、ライオンが怖いか?」とマサイ族。「怖い」と答えると、「オレは怖くない」と胸を張って主張します。けれど、マサイ族が赤い布を身にまとっている理由を聞いてみると、「赤はライオンが怖がるから」とのこと。ライオンのこと、結局怖いんじゃないの?と内心思いつつ、棍棒を手に取って、振ったりしていると、「この棍棒、欲しい?お前の服と交換しないか?」と持ちかけてきました。マサイ族がライオンを倒したという棍棒、悪くないなぁと思い、ユニクロのTシャツと交換しました。今頃、彼はユニクロのTシャツを着て、サバンナを駆け回り、僕は今、日本にて、棍棒で肩を叩いています。

彼は、僕が持っていた『CASIO』の2千円くらいの時計にも興味を持ち、それも交換してくれと言ってきました。ちなみに彼も時計は持っていたのですが、『CASIQ』というもの。時計は旅に必要だからダメだと断っても、本物への憧れからか、なかなかあきらめず「牛1頭と交換でどうだ?」と真顔で言ってきます。ちょっと面白いなとは思ったものの、「さすがにそれはいらない。持って帰れないし」と断ると、「じゃあ、ヤギでどうだ?」と。

外国というよりは異国といった趣のケニア。自分と全く違う文化で育った人と話すと、自分自身が今まで持っていた既成概念や考え方が壊れることがあります。壊れたと同時に、自分の自由度も増すような感じがあって、僕はその瞬間が結構好きです。実はカウンセリングというのは、異文化との交流でもあるので、僕はそこに魅力を感じているのかもしれません。

さすがにマサイ族には簡単に会いに行けませんが、日本にいても自分とは異なる文化を持った人っていっぱいいますよね。僕は、自分と違う職業の人と話すのが好きなのですが、行き詰ったような時にそういう人と話をすると、状況を打破するようなヒントがもらえたりしますよ。
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月8日水曜日

心が弱い

『心が弱い』という言い方があります。

何か心に負担がかかった時に、落ち込んだり、身体の具合が悪くなったりする人に対して、そう言ったりします。

確かに、そういう見方もできるのでしょうが、それは少しもったいないかなとも思います。心が弱いと言われている人を見ていると、色々なことを感じ取る力があるという方がしっくりくるような気がします。

僕らの生活の中には、緊張してピーンと張り詰めた雰囲気や、誰かが自分にイライラしてピリピリした雰囲気、仲の良かった友達がちょっとした行き違いで離れていってしまうような気まずい雰囲気など、色々な雰囲気が通り過ぎます。心が弱いと言われる人は、そのようなものをより感じ取って、影響を受けてしまうのだと思います。

けれど、そういうことを感じ取る力があるからこそ、人に対しての配慮ができたり、接し方がやわらかかったりします。

また、悪いことばかりを感じ取っているのでなく、同じ時間を過ごしても、多くの人が見過ごすような部分に感銘を受けたり、同じ映画を見ても独特な印象を持ったり、個性的に世界を切り取っているようにも見えます。その能力をいかして、クリエイティブな仕事をしている人も多いのではないでしょうか?

『心が弱い』と言ってしまうと、悪いイメージがくっついてきて、何とか強くしなければいけない気がしてしまいます。けれど、『色々なことを感じ取る力がある』と捉えておいた方が実りが多いと思います。

ということで、心が弱い僕は、このブログに本名は載せないことにしました。やはり誰かから批判をされるのは怖いですからね。


そうは言っても、心を強くしたいという方に
お勧めの関連記事:『心のディフェンス力をupさせる』『乗り越えるべき壁?』『ネガティブな考え方をポジティブに

---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ

2012年2月5日日曜日

このブログについて

このブログには、臨床心理士の管理人が日々思っていることを書くつもりです。

臨床心理士としての正しい知識を伝えるのでなく、 そんなお仕事をさせていただく中で個人的に感じたことを書きたいなぁと思っています。

海外旅行も好きなので、そんなことも織り交ぜつつ書き綴っていきたいです。
---
「いいね!」を押すとあなたのfacebookにたらのめダイアリーの更新情報が届きます。よかったらどうぞ