以前、自分の気持ちを誰かに言えると心が癒える事について書きましたが、今回はその一歩手前の『思う』ことについて書きます。
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心理学を学んだことがない人でも、フロイトを知っている人は多いと思います。インド人が数字で『0』という概念を作ったのが偉かったように、フロイトは『無意識』という概念を提唱したことで有名です。
フロイトがバリバリ仕事をしていたのは、今から100年くらい前でした。その頃は、女性が性的なことを考えるなんてみっともない・はしたないという時代背景があったそうです。だから、そんなことを考えちゃいけないと自分で自分の感情や思考を制限している人が多くて、ちょっとした性的な刺激で卒倒する人がいたらしいです。フロイトは、その仕組みを『抑圧』と呼びました。
『アルプスの少女ハイジ』の中でも同じ仕組みが描かれています。ハイジはアルプスの大自然で、楽しく暮らしていたのですが、ある日、大都会のフランクフルトのお金持ちの家へ無理矢理連れて行かれます。そこで、歩けない少女、クララの勉強相手をして暮らすことになります。ハイジはクララとは仲良くなるのですが、執事の厳しい躾や都会の生活になじめず、次第にアルプスに帰りたいと思うようになります。クララは、ハイジがいなくなってしまうのではないかと心配します。それを知った執事は、「お嬢様が心配なさるから、アルプスのことをしゃべってはいけません。考えてもいけません」とハイジを怒ります。するとハイジは、夜中寝たままの状態で、家の中を歩き回るという夢遊病になってしまいます。
ドイツ側から見たアルプス |
ハイジがアルプスのことを考えていたように、何かを考えたり思ったりするのは、本当はその人の自由ですよね。けれど、誰でも「そんなこと考えちゃダメでしょ」と一度くらいは言われた経験があると思います。そういう風に自由に考えたり、思ったりすることを制限されるのは、心にとって大きな負担になるのです。
例えば、好きな人にフラれちゃった人が、とても傷ついて「もう生きててもしょうがない」ともらしたとします。そしたら、「そんな風に考えるもんじゃない」「そのうち、必ず良いことがある」「悪いことばっかりじゃなかったでしょ」などのアドバイスがされがちです。確かにそうなんですけど、思ってるだけならいいじゃないですか。生きててもしょうがないと思っていることと、死んでしまおうと行動に移すことは全く別物です。ちゃんと落ち込むから、ちゃんと回復するということもありますしね。
僕がきついんじゃないかと思うのは、「『もう生きててもしょうがない』なんて思っちゃいけない」というように自分の思いを強く規制することです。『思っちゃいけないことはない』ということが、頭の片隅にあると少し自由になれますよ。