僕は、サッカーが好きで、海外で活躍している選手のニュースをYahooでチェックしています。それを読んでいると、ニュースの下にその記事に対するコメントを誰でも書き込めるようになっています。はじめは気にしてなかったのですが、そのうち、記事と一緒にそのコメントも見るようになりました。ずっと読んでいると、それらのコメントは二極化してることが分かってきました。その選手をとても持ち上げているか、ひどくこき下ろしているか、多くの意見が記事ごとにどちらかに収束していってます。それを読んでる分には、おもしろさもあります。けれど、コミュニケーションという点では、誰でも、自由に、自分の素性を明かさないで書き込めるので、広がりが出るのかと思っていたのですが、実は乏しくなっているように見えます。
自分と同じようにサッカーが好きな友達と話している方が、たとえ互いにサッカーについて詳しくなくても、意見としては様々なものが出てきます。サッカー以外でも何でもいいので試してみて下さい。きっと面と向かって話す方が色んな意見が出ますよ。
どうしてそうなるのか?その理由は1つではないでしょうが、僕はコミュニケーションに制約があることも関係していると思います。
面と向かって話すときのことを思い出すと、相手の意見も聞かなくちゃいけないし、ある程度、話を合わせることも大切になってきます。また、相手が受け取れるように話したり、ひどい悪態をついたら自分が白い目で見られるかもしれないことも気にしなくちゃいけません。つまり、何気なく話していることでも、実は制約が多いなかで会話しているわけです。けれど、そういう制約があることで、意見が極端な方にいってしまわずに、色々なアイディアが出るのかもしれません。
僕が好きな建築家で、中村好文という方がいるのですが、その人が建築について「ある種の悪条件っていうのは、わりと良い方にいくことが多い」と言ってました。土地が狭いとか、日当たりが悪いとか、そういった条件があるから、それを補うような工夫が必要になって、良い家ができるということのようです。コミュニケーションも、案外これと似ているのかもしれませんね。
続きの記事:『色んな意見が引き出すには・・・2』
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