2012年6月25日月曜日

乗り越えるべき壁?

今回は、壁を乗り越えることについてのお話です。

なにかの趣味にしても、仕事にしても、行動や考え方にしても、自分が成長していく過程では、どこかで壁にぶち当たります。その壁を乗り越えるというのは、外から見ている分にはドラマがあるので、小説や映画、マンガなどの題材になってます。特に少年マンガでは、主人公がなかなか敵を倒せないとき、自分の中の壁を乗り越えて、今までにない力を出して敵を倒す、というシーンはよくあります。見ていてこっちも力が入るところです。

けれど、ある人が「なんか、壁があったら乗り越えなきゃいけないっていう感じに世の中の流れではなってるけど、私は、そうかな?って思う。逃げ切れる人ってかっこいいなぁって思う。私は逃げて逃げて、逃げまくりたい。できれば、こっそりいなくなって、逃げたことを周りに気付かれないようになれるといい」と言ってました。僕はこれを聞いて、目からウロコがポロリと落ちました。

もちろん、この人も自分にとって大切なことだったら、何とか乗り越えようとがんばるはずです。全くそういう気がなければ、そもそも壁を乗り越えることなんて意識しないでしょうから。けれど、僕たちは、自分では特に大切だとは思っていないことなのに、いつのまにか壁の前に立たされていて、「乗り越えろ」とお尻を叩かれることがあります。この人が言ったのは、そういう時のことだと思います。そのような状況に追い込まれると、とても苦しいです。「できない自分に力がないのかぁ」と悩んだりします。

僕は、そうやって悩んでいる人の話を聞くと、『西の魔女が死んだ』という小説を思い出します。その中で、「シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」というセリフがあります。要は、自分に適した場所に行くのはとても自然だということなのでしょう。それは、逃げるということとはちょっと違うのかもしれません。

もし壁にぶつかったらちょっと立ち止まって、そこがハワイなのか?北極なのか?を考えてみるといいですよ。自分がどうすべきなのかが見えてくるかもしれません。

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2012年6月15日金曜日

“考える”についての考え

今回は、本の紹介です。『世界を歩いて考えよう!』というタイトルです。
著者が世界を旅する中で、驚きや感動や違和感などから考えを広げていき、新しい物の見方を提示しています。


外国について書かれた本は、その国の歴史・経済・文化のいずれかの切り口を掘り下げていくものが多いですが、この本は、それら複数のジャンルをつなげながら描いています。ですから、立体的にイメージしやすく、その国を旅しながら感じ、考える感覚がよく伝わってきます。僕も、旅行が好きでたくさんの国を旅しましたが、なるほど、そういうことが起こっていたのかと感心する点が多かったです。旅行が好きな人には、これから旅する際に、ここも注目したら面白いかもという視点を増やしてくれますし、旅行しない人には、教科書に載っていることやニュースで流れていることが、その国では実際にどういう影響として表れているのかを理解する助けになります。


けれど、この本の魅力は、そのように少し距離を置いた所から感心するだけでなく、自分から進んで考えることの面白さを教えてくれる点です。文中には、“自分のアタマで考える”というキーワードが出てきます。自分の頭で考えるのは、もちろん大事なことですが、どこか面倒な気もしちゃいます。それは、そうせざるを得ない状況に陥って、考えさせられているときのイメージと被ってしまうからだと思います。ですが、本の中で出てくる疑問や引っ掛かりに対して、自分もちょっとだけ想像力を働かせて読むと、気づきがあり、今まで自分が見ていた景色が一変する楽しさを体感できます。やっぱり、能動的に考えることと考えさせられることは、行為としては同じですが自分の感じはずいぶん違うものです。自分と異なる文化との出会いは、世界に出なくてもしょっちゅうあります。そこで起こった引っ掛かりを大切にしたら、日常がもう少し面白くなるのかも、などと考えました。


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という手がかりからさっそく自分のアタマで考えを広げてみると、悩むというのも考える行為の一種ですよね。つらい悩みは、客観的には、その人が勝手に悩んでいるように見えますが、主観としては受動的で、悩ませられていることが多くないですか?自分のコントロールできないところで勝手に湧いてきて、嫌なんだけど考えさせられちゃってる気がします。反対に、晩ごはん、ハンバーグ食べようか?トンカツ食べようか?と考えるのも悩みですが、自分から悩んでいるので苦しくはないです。ですから、本当につらくて、悩みに翻弄されている場合は、むしろ自分から、「よし、これについて悩んでやろう」と主体的に悩む時間を作るのも一つの手かなと思います。おそらく、同じ内容を考えていても自分の体感は違いますよ。

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2012年6月5日火曜日

助けられ力

ヒーローに代表されるように、誰かを助ける力というのは注目を集めがちです。けれど今回は、助けられる側について書きたいと思います。

2年前に、チュニジアと南イタリアを旅行しました。チュニジアは、イタリアから地中海を挟んだ対岸にある国です。はじめにチュニジアを周って、その後、フェリーに乗ってシチリア島へ渡りました。シチリアには、夜の10時半に着く予定でしたが、出発がすごく遅れて夜中の2時に着きました。遅れた理由を聞くと、チュニジア人がチケット売り場にちゃんと並ばなくてケンカになり、手続きが遅れたということでした。確かに、日本では当たり前のように列を作りますが、チェックインカウンターにごちゃっと人が集まっていて、口論になってました。僕も真似して割り込んでみたら、チュニジア人にメチャクチャ怒られました。

チュニジア Sidi Bou Said
そんな理由で深夜2時に着くと、ゴミをあさっている人以外は誰もいなくて、危険な香りが漂っていました。シチリア島=マフィアというイメージも後押しして、ドキドキしながら、急いでホテルに行きました。けれど、僕が予約していたのは安いホテルで、着いたらシャッターが完全におりていて、中をのぞくと真っ暗でした。これは野宿しかないかな?けど、危険だよなぁと考えながら、どうしたらいいのかしばらく途方に暮れました。

すると、細い路地からトロトロと一台の車が走ってきました。僕は車の前に身を投げ出し、人生で初めて心の底から「Please help me.」と言いました。車には、若いカップルが乗っていて、「どうしたの?」と聞いてくれました。僕が事情を説明すると、「そこ(ホテルの入口)に電話番号が書いてあるから、電話したら?」と。「いや、僕はイタリア語話せないから…」と言うと、彼らが電話をかけてくれました。そして、「10分くらいでホテルの人が来るみたい」と教えてくれ、その間、車を脇に停めて一緒に待っててくれました。

僕は、汚い恰好で旅行していたので、彼らからしたら、僕の方があやしい東洋人です。それでも彼らが助けてくれたおかげで、屋根の下で寝ることができました。けれど、ちょっと見方を変えると、そこで何か助けてやろうという気持にさせて、助けてもらえるというのも、一つの能力じゃないかと思うのです。これを僕は“助けられ力”と呼んでいて、一つの才能だと自惚れています。前に、僕は英語があまり話せないのに外国を旅行していると書いたのですが、こういう風に色んな人に助けられつつ旅行しているのです。
(関連記事:『伝える技術』

普通は、人を助けたり引っ張っていく人の方が、尊敬されたり、目指すべき目標とされます。のび太よりもドラえもんの方が、やっぱり目立ってますよね。けれど、いつも人に助けられているのも、それはそれで、才能ではないでしょうか?とげとげした、嫌な雰囲気が出ていたら、誰も助けてはくれないと思います。どこか力をかしたくなるような雰囲気がただよっているから、助けてもらえるのでしょう。

これって地味だけど、人と一緒に何かするときには必要な力ですよね。当たり前のことですが、一人でやれることには限界がありますから。


関連記事:『伝える技術』

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